既存の言語体系では掬い取ることのできない身体感覚や快楽の次元を引き受けるメディアとして、私はドローイングの筆致を提示します。そのようなドローイングはしぐさそのもの、つまり、パフォーマティブなものだと考えています。
これまで、親密な人々を描いた絵画や、ダンサーの方と共に「触覚の交感」をテーマに制作したパフォーマンス、オルタナティブ・ポルノという女性やクィアを自認する人々が制作しているポルノグラフィにインスピレーションを受けたドローイングシリーズ等を制作してきました。
肉体によって肉体を描きたいと常に思っています。「生の鋭さを捉えようとする描線は、瞬間の中にある」…エレーヌ・シクスーの言葉です。彼女は続けて「それは赤いに違いない」と書いています。私が追い求めているものはこの「生の鋭さ」かもしれません。